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新世界より の感想

 長いよ。読むの大変だったよ。

 調べたところSFが読みたい!を受賞してるしSFに分類されるというので買ってみたがあんまりSFじゃなかった。どっちかというとリアルよりのファンタジーな気が。まあ四畳半神話大系をSFに分類することもあるみたいだしとやかく言うまい。

 この本には呪力というまぁ有り体にいえば魔法が出てくるわけだが、この魔法が出現したあとの世界を論理的に描いているという点でとても画期的。以前から魔法を扱った作品に出会うたび思ってたんだが、そんなに民衆に力あったら争い起こりまくりだよねってこと。魔法があるのに世界の大体が平和で、主人公たちは概ね平和な土地を旅する(もちろんイベントに巻き込まれたりはするが)ってのがどうも違和感があった。マギでもハガレンでもなろう小説でもいいけど、まぁ平和。現代日本に魔法をぱっと出現させて、時代を巻き戻しただけ(ひどい言い方だが)みたいな設定が多くてどうも気になってた。もし魔法が古代からあるとすれば、神の怒りで雷を説明していたように、身の回りにあるあらゆる現象を魔法で説明するのが当たり前だっただろうし、その帰結として神かなんかの超越者への信仰が、俺達からすればありえないぐらい強くなったとしても不思議じゃない。信仰を強めた人たちが何らかのきっかけで争いを始めれば収拾がつかなくなることも当たり前だと思う。だから上で上げたような設定の作品に対して(好きだけど)どことなく違和感を持っていた。

 その点「新世界より」は徹底的に考察してて新鮮。大衆一人ひとりが人を殺せるような力を持ってたらこうなるといのを納得できる形で示してくれた。まぁだからといって今後出版される魔法を扱った作品はしっかり考証をするべきだとか言うつもりはない(そもそも俺が言ったところでどうにもならないし)。まぁ面白ければいいよね。結局創作なんだし。

 で、「新世界より」は世界観はしっかりしていたが内容は別。やっぱり合わねえ。こんだけ小説合わないのばっか読んでるともうなんか落ち込んでくるよね。あ、そうだこの感覚はマルドゥックシリーズを読んでる時にも味わった。前の記事で書いたとおり俺は想像力が著しく低いせいか小説でアクションを書かれても面白く感じられない質なので、ずっと惰性で読んでる感じがした。ちょっと待てよ。(おそらく)エンタメ小説の最高峰である「新世界より」すら面白く感じられないとすれば俺はもはや読める小説なんてないのではないだろうか。これからはもうアクションとかミステリとかSFとか設定とか関係ないノンフィクション小説を読むしかないのだろうか。どうすっかなー

アンドロイドは電気羊の夢をみるか の感想

 宣言通り2周目してきました。やっぱり合わなかった。いやもう恥を忍んで言ってしまおう。クソつまんなかった。

 振り返ってみると俺のツボに入った作品というのはどうも理屈っぽいところがある。そのいちいちを挙げていくのは流石に恥ずかしいのでしないが、好きな作家が伊藤計劃円城塔というところでお察しいただけると思う。しかし俺のめんどくさいのは理屈っぽければ好きになるわけではないところにある。まず最初に、ちょっとむずかしくなるとすぐそちらに気を取られてしまうので、理屈っぽく、それでいてわかりやすくなければいけない。そしてその上ストーリーが面白くなければいけない。ストーリーの面白さ=作品の面白さ と俺の感性が認識するからである(そうでないことが多いのは重々承知している)。このくそめんどくさい二点を踏まえていただくと表題の作品「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」がいかに俺に合わないかお分かりいただけるだろう。

 まずとてもわかりづらい。英語名だというだけ覚えづらいのに、登場人物が多いし、ファーストネームとセカンドネームを使い分けるのでもう無理。とても話を追える状況じゃない。次にストーリーに盛り上がりがない。俺は小説でアクションを書かれても特に興奮しない質(これまためんどくさい)なのでアンドロイドとのアクションで盛り上がったりとかはなかった。で、極めつけが「人間とは〜という議論に特に魅力を感じなかった」こと。もうこれは致命的。これこそがアンドロイドは〜を傑作たらしめているのに(多分)。

 ただ俺も作品が合わなかった言い訳はいろいろある。「なんでアンドロイドをはらわたぶちまけて破壊しても人間と区別つかないんだよ」とか「大企業中の大企業を一人の賞金稼ぎの誤認で動かせるわけねえだろ」とか「アンドロイドの警察署とか絶対ばれるし流石に無理があるだろ」とか「割と簡単にアンドロイド処理してるけどそれで世界記録とか信じられん」とかとか。もちろんこれらの指摘が全く本質的じゃないのは理解してる。でもやっぱ一貫した世界観って大事じゃん。ほら「アルジャーノンに花束を」でも一貫性が大事だって言ってたし。こういう小さな違和感(というか不整合)が俺はとても気になってしまった。

 まぁ結局慣れの問題なのかなとは思う。俺は現代小説の、内容が分りやすいところから小説に入ってきたタイプなので、逆に古典SFから小説をよみはじめた人とかは「アンドロイドは〜」も楽しめるのではないかと思う。しかしamazonのレビューがやたらいいのが不安。本作が合わなかった人が評価の良さに圧倒されて低評価付けづらかったり、そもそもSF好きな人しか読んでないとかならまだいいけど、万人受けする正真正銘の傑作を俺がこの弱小ブログでぼろくそに批判するほど恥ずかしいことはない。みんな楽しめるのに俺だけ楽しめないっていうのは悲しい。

情けないことにフィリップ・K・ディックが合わない

 伊藤計劃からSFに入っていってはや幾年。まずは有名ドコロをと思ってディックを読んでみたがほんとに合わない。言い換えるとつまらない。

 前に高い城の男とかディファレンスエンジンとかを読んだときから薄々感づいていたけど、もしかしたら俺はSFが好きではないのかも知れない。とりあえず

パーマーエルドリッチ〜

アンドロイドは〜

高い城〜

(筆者違うけど)ディファレンスエンジン

と読んできたけど見事に合わなかった。いつ面白くなるんだろうと思って読んでたら終わった。ほんとにこれは情けない。なんで?俺もSFの世界に触れたいのに。上の本が高評価なのが理解できないことが情けない。簡単にわかるようなことを長々と語るし、そもそもストーリーが面白くない。もちろん簡単な文章が最善だと言うつもりはない。難しく語ることで議論に深みがでたりして面白くなるのはわかる。俺だって円城塔好きだし。でもディックの本は好きじゃない!どれだけ言葉を繋いでも1ミリも話が前にすすんでる感じがしない。こんなこと書いてると俺の無教養と読解力の無さを大衆の目の前で露呈してる感じがして本当に恥ずかしい。でも合わない。どうかこれらの本の魅力を語ってくださる方がいたらぜひ連絡してほしい。いくらでも布教でも説法でもしてくれて構わない。

 ちなみにマルドゥックスクランブルも読んだけどこれはまぁ好きだった。ただカジノのシーンが長すぎる。本一冊ぐらい使ってるでしょこれ。すぐ終わると思って雰囲気だけで読んでたのでポーカーのルールぐらいは知っておけばよかった。そして、これまためんどくさいことにこの本も手放しで好評価できる俺ではないのだ。まず思うのが小説でアクションってどうよ、ということ。なんか小説でアクションを書かれると萎える。それってアニメか映画でよくね?と思ってしまう。小説という媒体を選んだからには小説の利点を活かすべきだと俺は考えているので、あまり小説でアクションは賛成できない(てめえは何様だという意見は俺にもわかる)。もちろん物語の都合上アクションが出てくることは全然否定はしないけど、アクションそれ自体が主役になるのが好きじゃない。

 考えてみると俺はただの中二病を引きずったひねくれ者なだけなのかも知れない。アクション主体のエンタメ志向だとダメだが、ディックのようにあんまりにも難しいと逆に読めない。エンタメ批判してカッコつけようとしているが、難しいことはわからないという典型的中二病。そういう意味で伊藤計劃はまさに自分にピッタリあった作家なんだなぁと思う。エンタメにも思弁にもどちらにも偏っておらず、ストーリーが面白い。じゃあ円城塔はどうなんだと聞かれるかも知れないがあの人はいっそ難しいですよ〜〜感をバリバリ出してるので逆に中二心が刺激されてるのかも知れない。読書感想文をブログに投稿している者としては今回の記事はどうしようもなく情けないし、俺なんかにけなされた作品が可哀想なので、上で文句行った作品はもう一回読んでみようと思う。

ロードバイク買って1000kmぐらい走ったので

 タイトルの通り1000km走ったので感想みたいなもの書きます。買うときはあんなに悩んだけど、結局買ってよかったです。

 

 当たり前だけどスピードでますね。クロスバイクだったら辛いだろう速度も簡単にでます。多摩サイで巡航速度測ると、最初の5kmぐらいは40kmで巡航できます(*安全には注意してます)。そのあとは体力きれますが。これがもう気持ちいい。自分がどれぐらい頑張ってるのか数字で出るので楽しいです。

 そういえば多摩サイはサイクリストの聖地だみたいな噂は前から聞いていて、走りやすいんだろうなと思っていたら案外走りにくかったです。そもそも道幅が狭い。人二人分しかないから対向車とすれ違うときに結構気を使う。サイクリストの聖地→自転車多い→走りにくいという本末転倒な感じがします。歩行者も多いので追い越しの時に対向車と譲りあうので大変。一番怖いのがお年寄りが多いこと。ママチャリふらふらになりながら乗ってたりして超怖いです。まぁ自転車専用道じゃないんで歩行者最優先で、ロードバイクが譲るべきってのはわかるんですが。多摩サイは人がいない平日昼間が一番乗りやすいです。

 乗り心地はやっぱり良いです。小さな振動を吸収してくれるので走りに集中できてストレスが少ない。ギアも11速なので負荷に合わせてこまめに変えられる。SORAでいいやと思ってた俺があの憧れの105使ってるってだけで気分あがりますね。ギアがスパスパ変わるので、変わったのに気づかない時とかありましたからね。そしてもうSTIレバーのかっこよさと言ったらないですよ。ギア変えるときのクリック音とか、うまく変わったときの感触とかたまらないです。ギア変えるの楽しくて無駄に多く変速してました。

 かかった金額ですが、当初よりかなり膨らみました。結局本体15万+その他もろもろ7万=22万かかりました。これでも知り合いから中古のサイコン安く売ってもらったり、安いもの買ったりかなり抑えた方ですよ。しかもこれでハンドル変えたいとかステム変えたいとかなると(俺はもうなってます)さらに金かかります。

 ちなみにロードバイクってかなりカロリー消費するスポーツで(なんでも真面目にやればカロリーは使うと思いますが)、1000kmぐらい走るとかなり体重落ちます。俺は多分4,5kg落ちました。体脂肪率も2,3%ぐらい減りました。クロスで片道25分通学してた時には体重は全く変化なかったので、痩せたかったら連続で1時間は乗らなきゃダメなんですかね。

 ロードバイク乗るとスピード出すのが楽しくなってきますね。クロスバイクじゃ感じられない。これは機材に金掛けたくなる気持ちもわかる。今思うとカーボンで105のバイク買ってよかったと思います。下のグレードだったらすぐに機材に不満がでてきて気持よく乗れなかっただろうと思います。あぁーディープリムほしいし、パワーメーターほしい。

ubuntuを入れました

 僕のパソコンはx202eという五年前のエントリーノートなのですが、ブラウザのタブを5つぐらい開くとすぐメモリ(4GB)を使いきって動作がもっさりするので怒り狂ってubuntuを入れました。
 http://www.iandprogram.net/entry/2015/09/15/115918

手順は大体上の通りにやりました。
少し補足するとすれば
そもそもドライブの縮小とは何かわからない→使っていないHDDの容量を未割り当て領域にすること。つまりubuntuが使う分の容量を確保すること。


UNetbootinのselect version→(ubuntuのバージョン)_Live_x64の方を選ぶ

ubuntuのインストール→サードパーティーのソフトウェアをインストール(文面うろ覚え)にチェックをいれる。flashとかインストールしてくれる

ubuntu のインストール中にUSBを抜いてしまった→強制終了してwindows からパーティションを削除してもう一回ubuntu を入れる。ちなみになんでこんなことを書くかというと自分でやったからです(3回インストールし直した顔)。

まぁまだ本格的に使ってませんがブラウザではてなブログとか開くと明らかに速いです。linuxに慣れるためにちょこちょこ使っていきたいです。

ルッククロス乗りがカーボンロードバイクを買ったので

自慢するしかないでしょう

自転車の記事書こうとは思っていたけど肝心のネタがないので書けませんでした。しかしやっとネタが登場。

買ったバイクはscott のcr1 20(105ミックス)です。これは2017年モデルなのですがcr1というブランドは2017年に廃止されているのでこれが最後の世代ということになります。

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https://www.cyclesports.jp/articles/detail/79993より

  写真とるのすらめんどくさいので引用で失礼します。

 正直買うときめっちゃ悩みました。大金払って物を買うなんて経験今までで一度もなかったし、買ってもすぐ飽きるんじゃないかとかなんとか考えて超迷ってました。今は買ってよかったと思います。

 ちなみに値段ですが、2017年モデルということもあってか税込み15万でした。定価25万(税込み)なのでかなりお買い得でした。15万ってアルミバイクの価格帯じゃん!ここまで安くなかったら買ってなかったです。(やめるかもしれないからなるべく安いのにしとこ・・・)とか思ってたぐらいなので。

 納車のあと少し走っただけでもうweekend bikes(ルッククロス)との違いがはっきりわかりました。振動がめっちゃ柔らかい。今でも街乗りで現役の我が愛車weekend bikesでは震えて震えて仕方ないような道路でもうまく振動をいなしてくれます。ただ一つ不安なのがこういうコンフォート志向のバイクは加速性能が悪いといわれていること。将来はできるならレースに出てみたいのでちょっと気になってました。しかし知り合いのロード乗りに聞いたところ「結局足だよ」との至言を頂いたので購入を決断。

 あともう一個気に入ってるのがフルカーボンなとこ。フォークだけじゃないですよ!?フルですよ!?アルミみたいな溶接じゃなくてカーボンシートを重ねて熱整形したあのカーボンですよ!?フルカーボンっていう響きがもう大好きです。

 買ってすこし驚いたのが自転車本体以外に結構金がかかること。サイクルジャージ買って、ビンディングシューズとペダル買ってボトル買って・・・と行くと最低でも5万はかかります。多少は覚悟していましたがいざ買うとなるとここでも尻込み。まぁ買いましたけど。

 今度ロングライド行く予定なんで言ったらまたなんか書きます。

 

 

↓昔書いた記事。当たり前ですけど定価25万と3万の自転車比べると圧倒的に前者の方が快適だし速度でます。  

arark.hatenadiary.jp

 

華氏451度 の感想

 とても面白い。こういう思想的に厚い本は好き。
 まずファイアマンが本を燃やす職業だっていうのがいい。とても皮肉が効いていて、一歩下がって物を見てるようなかっこよさがある。
 内容の柱としてはもちろん本の価値についてなんだけど、ここがとてもよくできている。ファイアマン側の論理ももっともだし、本を擁護する側も一理ある。ぶっちゃけると自分もファイアマンと似たような(しかし程度はひくい)ことはしばしば考えてたんだけど、俺が考え付くようなことはそりゃ誰かがやってるよなと思った。結局本の価値に対しての明快な解答はないけど、まぁそんなのはどこにもないんだと思う。自分達がそれを考え続けることに意味があるのではないか。
 重要なのはこれがディストピアを描いてはいるがその大元はユートピアへの志向だということ。みんなの人権を最大限守ろうとする現代は、本書でかつて目指されていた(そして目指されている)ユートピアと全く同じである。人権がいらないなんて絶対に言えないけど、人権擁護という正論を盾になんでもかんでも推し進めると良くないのかなと思う。かつて草薙少佐は言いました「人権は聞いたことはあるが見たことはない」と。あんまり盲信するのはよくないかも。
 こうしてユートピアディストピア論を展開してるともうユートピアディストピアの境界なんて無いんじゃないかと思う。そこにあるのは文体や描写の好悪の違いだけで、端的に言うと好きか嫌いか。harmonyでもユートピアが悪し様に描かれていたし一九八四年も単なるディストピアじゃない(はず。うろ覚え)。
 本書も古典SFの例に漏れず、イコン的なガジェットを使ってるわけだけど、こういうのをみると現実がかつてのSFを追い越したんだなーということを確認する。
 終盤で「わたしがボルヘスです(うろ覚え)」とか「あの町はみんながロールズだよ」とかいうくそかっこいい台詞がでてくるんだけど俺もこんなこと言ってみたい。

感想を書く本

道化師の蝶

オブザベースボール

華氏451度

パーマーエルドリッチの三つの聖痕(途中)

 

 ただ道化師の蝶とオブザベースボールは図書館で読んでもう返してしまったので感想は書かないかも。読んだことのある人ならわかるとおもうが、感想が書きづらいことこの上ない。

 あと自分にはディックは合わないんじゃないだろうかと思う。「パーマー~」がとにかく面白くない。高い城の男も合わなかったし。とにかく「アンドロイドは~」を読んでから決めたいと思う。

 最近このブログの方向性についてよく考える。感想を書くのか書評を書くのか。感想なら自分の思ったことを言うだけだからまだ身の丈にあっているが、書評となると途端に崇高で意味のあることを書かなければと思うし、そもそも書き方がわからない。あらすじを追って行っても意味はないだろうし。やはり書くからには新しい知見を持ち込みたい。

 

 

小説 君の名は の感想

 ブックオフで100円だったので買ってみた。いやー読みやすくて良かった。最近は理屈をこじらせた変な小説ばっかり読んでるので、リフレッシュできた。

 自分は「君の名は」が公開する前から新海ファンで(古参アピ)君の名は、にももちろん期待していたけど、まさかあんな大きなブームになるなんて思ってなかった。新海作品なのに珍しく広告打ってるなーとは思ったけど。

 で、中身だけど、やっぱり「君の名は」は映画が一番かなーと思う。「君の名は」はファンタジー青春映画なわけだけど、自分はファンタジーをみると色々作者の(恣意的な)仕掛けが気になってしまう質だから、そこらへんを勢いで流してくれる映画の方が余計なことは考えずに楽しめた。流れということでいうと、小説は地の文が気になった。本書は一人称小説なんだけど、走って息も絶え絶えの状況で「息が切れ、ひざが笑っている」なんて冷静に解説されると違和感を感じる。やっぱり人ってそんなに言葉で生きてないよね。「苦しい」とか「愛しい」とか、しいて言葉にするとしたらそのぐらいの単純な感情しかないと思う。

 考えてみると今まで普通に読んでいた一人称小説はどれもこれも感情をわざわざ言葉にせず地の文は情景描写に徹していた気がしなくもない。パラパラと確認してみると「ヨハネスブルグのの天使たち」は感情を直接ではなく行動や発言を用いて間接的に描いてることが多いように感じる。

 さんざん言ったけど、中身は普通に面白かったし、映画では断片的にしか描かれていなかったところも掘り下げられていて、ファンブック的な楽しさがあった。