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アンドロイドは電気羊の夢をみるか の感想

 宣言通り2周目してきました。やっぱり合わなかった。いやもう恥を忍んで言ってしまおう。クソつまんなかった。

 振り返ってみると俺のツボに入った作品というのはどうも理屈っぽいところがある。そのいちいちを挙げていくのは流石に恥ずかしいのでしないが、好きな作家が伊藤計劃円城塔というところでお察しいただけると思う。しかし俺のめんどくさいのは理屈っぽければ好きになるわけではないところにある。まず最初に、ちょっとむずかしくなるとすぐそちらに気を取られてしまうので、理屈っぽく、それでいてわかりやすくなければいけない。そしてその上ストーリーが面白くなければいけない。ストーリーの面白さ=作品の面白さ と俺の感性が認識するからである(そうでないことが多いのは重々承知している)。このくそめんどくさい二点を踏まえていただくと表題の作品「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」がいかに俺に合わないかお分かりいただけるだろう。

 まずとてもわかりづらい。英語名だというだけ覚えづらいのに、登場人物が多いし、ファーストネームとセカンドネームを使い分けるのでもう無理。とても話を追える状況じゃない。次にストーリーに盛り上がりがない。俺は小説でアクションを書かれても特に興奮しない質(これまためんどくさい)なのでアンドロイドとのアクションで盛り上がったりとかはなかった。で、極めつけが「人間とは〜という議論に特に魅力を感じなかった」こと。もうこれは致命的。これこそがアンドロイドは〜を傑作たらしめているのに(多分)。

 ただ俺も作品が合わなかった言い訳はいろいろある。「なんでアンドロイドをはらわたぶちまけて破壊しても人間と区別つかないんだよ」とか「大企業中の大企業を一人の賞金稼ぎの誤認で動かせるわけねえだろ」とか「アンドロイドの警察署とか絶対ばれるし流石に無理があるだろ」とか「割と簡単にアンドロイド処理してるけどそれで世界記録とか信じられん」とかとか。もちろんこれらの指摘が全く本質的じゃないのは理解してる。でもやっぱ一貫した世界観って大事じゃん。ほら「アルジャーノンに花束を」でも一貫性が大事だって言ってたし。こういう小さな違和感(というか不整合)が俺はとても気になってしまった。

 まぁ結局慣れの問題なのかなとは思う。俺は現代小説の、内容が分りやすいところから小説に入ってきたタイプなので、逆に古典SFから小説をよみはじめた人とかは「アンドロイドは〜」も楽しめるのではないかと思う。しかしamazonのレビューがやたらいいのが不安。本作が合わなかった人が評価の良さに圧倒されて低評価付けづらかったり、そもそもSF好きな人しか読んでないとかならまだいいけど、万人受けする正真正銘の傑作を俺がこの弱小ブログでぼろくそに批判するほど恥ずかしいことはない。みんな楽しめるのに俺だけ楽しめないっていうのは悲しい。