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戦争広告代理店 の感想

 最近戦争に関するドキュメンタリーを色々読んでいるけど、そのすべてが、自分が今まで全く知らなかった領域を教えてくれるので自分の価値観がぐわんぐわんと揺れている。本書もそのうちの一つ。

 一番読んでいてためになったのが、いかにアメリカの政治が行われているかというところ。アメリカは官僚の入れ替わりが激しくて、大統領交代ごとに能力のある人が民間と政府を行ったり来たりするのが普通で、その際に大統領のコネが物をいうらしい。こういうことを聞くと、一般市民としては同じことを日本でもやってくれよと思うけど、実際自分が官僚だったらこんなに不安定な組織に行きたくないし、頑張って東大でたあとはもう新しいことなんてせずに去年と同じことをして給料をもらいたいだろうとは考える。さらに言えば赤の他人でしかない国民のために自分の職を危うくするようなことは誰もしたくないだろうし、今の日本の構造はずっと続くんだろうなとも思う。

 この本では徹底してボスニア紛争の広告面での経過を描いているけれど途中から(というか最初から?)誰も戦争で苦しんでいるひとたちを助けようとはしていないのが恐ろしい。ボスニア側はセルビアを非難するばかりで、セルビア側も同じ。結局勝ったのは宣伝がうまかったボスニア側で、負けたセルビアは世界から諸悪の根源の烙印を押されて国連を追放。民族対立はそのまま残るという何の解決にもなっていない処置がなされておしまい。先進国を仲裁役にした和平会談をやっても先進国は世論におされていやいや出てくる始末。

 個人の意見としては、こんなことになっているのは世界が大きくなりすぎたからなんじゃないかなーと思う。自分の隣で事件が起こらない限り大体は対岸の火事でしかないわけで、ちょっとでも複雑だとすぐに興味がなくなる。実際俺はいまだにモリカケがなんなのかわからないわけだし。世界なんて個人が把握するにはあまりにも複雑で面倒なんだと思う。

 本書によると「民族浄化」というキーワードはボスニア紛争時に「バズワード」となったらしい。殺戮も虐殺も大体同じことを指しているのに聞き手の印象ががらっと変わって、思考が特定方向に誘導されるのはとても面白い。このブログではしつこいぐらい言及している「虐殺器官」の世界は全然フィクションではなくて、現実の延長にあるんだということを実感した。

 この本を読んで、心底政治の世界は面倒だと思った。こういう裏側まで知って、正しく物事を判断しようとすると限りなく面倒なので、どうせゆがんだ事実しか知れないならいっそ政治を追うのはやめようかなとも思う。