悪童日記/ アゴタ・クリストフ 感想
とにかく戦争ものを!と探してたら見つけました。
- 作者: アゴタクリストフ,Agota Kristof,堀茂樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/05/01
- メディア: 文庫
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結構有名な本らしいですね。私は知りませんでしたが。この本は一切の感情が廃された双子の日記という体をとっているのですが、双子に感情がないわけではなくむしろしっかりとした意志と倫理観をもって行動しているのがわかります。彼らの判断基準となっているのは「愛情」です。(そうですよね?)
愛情といっても一方的に与えられる上から目線の「哀れみ」とはちがいます。
乞食の練習中にもらった品物を全部捨てた場面によく表れています。そういう意味でこの本は愛を探す物語なんて言えるかもしれません。
私が心に残っている文章をすこし引用します。
仕事はつらいけれど、だれかが働いているのを何もしないで見ているのはもっとつらいんだ。(中略)僕らはただ、僕ら自身のことを恥ずかしいと思ったんだ。
幾度も繰り返されて、言葉は少しずつ意味をうしない、言葉のもたらす痛みも和らぐ
髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない。
お母さんの手紙は、僕ら二人のシャツの裏側に、代わるがわる忍ばせることにした。
この文章を改めて読むと双子がどれだけつらい生活のなかで精いっぱい生きようとしていたのかがわかります。彼らは意識的に感情を表に出さないようにすることで差別や虐待から自分の身を守っていたのです。
愛情を大事にする描写はほかにもあります。靴屋の主人が双子のみすぼらしさをみかねて色々なものを上げようとする場面では、彼らは哀れみを感じ取り「ありがとうというのは好きじゃない」といって受け取ろうとしませんが、後にただの同情ではないことがわかると品物をうけとり「本当にありがとう」といって帰ります。
また、母親の骸骨を屋根裏に飾る場面もそうです。普通の感覚から言えば骸骨を家の中に飾るなんて死体趣味の狂人としか思えませんが、この双子からすればただ母親との思い出を飾っているだけということになります。
おばあちゃんと徐々に打ち解けていくのもいいですね。最初におばあちゃんとの関係変化がでたのは断食の練習をしたあと
「おろかな練習じゃ。そのうえ、体にも悪いわい」
と発言するとこだと思います。住み始めたころはあんなに意地悪かったのに・・・・。
兎っ子という登場人物がいます。初めて読んだときはわからなかったのですが、やぶにらみは斜視で兎唇は口唇口蓋裂を表しているらしいです。つまり障害者です。彼女は最初双子にあったときに誰も自分を愛してくれないと嘆きます。これが双子の同情を買ったのでしょうか、かなり面倒をみます。途中で登場する「従妹」とはえらい違いです。
主人公の双子は一応双子という設定ですが、物語のほとんどにおいて二人は全く一緒に行動しています。一人は買い物に行ってもう一人は畑仕事とか絶対ありません。「僕ら」を「僕」に変えても違和感がないところが多いでしょう。それだけお互い依存してるし、二人で一つの個としてふるまっています。だからこそ最後の展開が重みを増してくるわけですが、どうしてああなったんでしょうね。ちょっと考えてみましたがあまりいい説明は思いつきませんでした。続編があるのでそれを読めばわかるかもしれません。
とても印象に残る本でした。事実が書いてあるだけなので難しい表現もなくすらすら読めます。ぜひ読んでみることをお勧めします。