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言語学の教室 の感想

 前回「ビックデータコネクト」で一息ついたので、また教養書に戻った。はじめてkindleでよんでみたんだけど、寝っ転がりながらの読みやすさが紙の本と段違いなのと移動中にさっとスマホ出してすぐ読めるのでとても使いやすい。kindle readerを買おうかなとも思っているけど、今のところ不満はないのと、まだこなれてない印象があるのでとりあえず保留中。

 で、「言語学の教室」だけど、とてもわかりやすかった。対談形式になっていて、新しく出てきた概念を掘り下げてから次に行ってくれるので理解しやすくなってる。普通の教科書的構成だと、概念をポンと出して次に行くので、用語が定着してなかったりして、表面的な理解しかしてなかったり、頻繁に戻ったりということが起こるけど、本書はそういうことが少ない。一般人相手に講義したらこんなに立ち止まることはないだろうけど、本書は相手が言語哲学者で、鋭い質問をバシバシしてくれるので、新しい概念を持ち出す意義などがわかりやすい。

 僕は言語学には特にイメージは持ってなくて、そもそも何やってるのかすら想像できなかったけど、今回の読書で大まかな雰囲気はつかめた。読んでいる分にはまぁ面白かったけど、自分がやるのは勘弁したい。言語学はひたすらある言語における法則なり理論なりを探していくのだが、いろいろな事例を広く説明できる理論を思いついても、物理や数学のようにその理論で未だ起こっていない事の予測ができるわけじゃないのがどうにも徒労に思える。ただこういう言語学の知見はコンピュータで言語を解析するとき(冗長な言い方だけど適語がおもいつかない・・・)も使えるんじゃないかと思う。実際に自分でやれはしないけど。

 最近読んだ「戦争広告代理店」とか「虐殺器官」で描かれていたことは(当たり前だけど)言語学で説明できるんだろうと思う。「ethnic cleansing(民族浄化)」が絶大な影響力を持ったことや、逆に戦争の現実を多い隠す迂遠な表現が使われたり(ぱっと例が出てこない)。言語学なんて何の役に立つんだ、とか、哲学なんていらないとか以前の自分は思っていたけど、どんなものでも使う人によって玉にも石にもなるんだなぁ。

 ちなみに、付録についていた対談書き起こしの原文をみて笑ってしまった。脇道にそれまくり。これを本にするのは骨が折れただろうなぁと思う。あと、さらに言語学を学びたい人向けの文献案内が親切でよい。

 

ビックデータコネクト の感想

 最近重い本が続いていたので、普通のエンタメ小説を読んでみた。

 やっぱり藤井さんの小説は面白い。ほんとによく練られてる。正直練られすぎててわかんない部分もある。個人情報の取り扱いが云々とかはわからなかった。読んでるこっちがわかんないのに藤井さんは何をどうして作れたのか全く想像がつかない。

 本書も例によってSFガジェット(現実にもあるけど)がたくさん出てくるわけだが、今作はプログラムとかネット関係の用語を知らないと読むのに詰まると思うので、あまり初心者向けじゃないかも。まぁそこらへんを乗り越えても死ぬほどめんどくさい法律用語が出てくるのでラノベのように簡単には読めない。

 自分の読書順では「公正的~」と「gene mapper」そして今作と、つづいて中国が出てきたわけだけどほんと藤井さんは中国が好きだな。森見登美彦が京都をさんざん荒らしまわってるのと同じで、中国には謎を全部吸収してくれる性質でもあるのか。と書いてみると確かに欧米はルールがちゃんとしてて透明性があるイメージがあるのでやっぱり事件を起こすとしたら中国なのかもとは思った。

 終盤の謎が収束していき、トラブルが続々と発生してくるスピード感も手に汗握ってとても面白かった。

戦争広告代理店 の感想

 最近戦争に関するドキュメンタリーを色々読んでいるけど、そのすべてが、自分が今まで全く知らなかった領域を教えてくれるので自分の価値観がぐわんぐわんと揺れている。本書もそのうちの一つ。

 一番読んでいてためになったのが、いかにアメリカの政治が行われているかというところ。アメリカは官僚の入れ替わりが激しくて、大統領交代ごとに能力のある人が民間と政府を行ったり来たりするのが普通で、その際に大統領のコネが物をいうらしい。こういうことを聞くと、一般市民としては同じことを日本でもやってくれよと思うけど、実際自分が官僚だったらこんなに不安定な組織に行きたくないし、頑張って東大でたあとはもう新しいことなんてせずに去年と同じことをして給料をもらいたいだろうとは考える。さらに言えば赤の他人でしかない国民のために自分の職を危うくするようなことは誰もしたくないだろうし、今の日本の構造はずっと続くんだろうなとも思う。

 この本では徹底してボスニア紛争の広告面での経過を描いているけれど途中から(というか最初から?)誰も戦争で苦しんでいるひとたちを助けようとはしていないのが恐ろしい。ボスニア側はセルビアを非難するばかりで、セルビア側も同じ。結局勝ったのは宣伝がうまかったボスニア側で、負けたセルビアは世界から諸悪の根源の烙印を押されて国連を追放。民族対立はそのまま残るという何の解決にもなっていない処置がなされておしまい。先進国を仲裁役にした和平会談をやっても先進国は世論におされていやいや出てくる始末。

 個人の意見としては、こんなことになっているのは世界が大きくなりすぎたからなんじゃないかなーと思う。自分の隣で事件が起こらない限り大体は対岸の火事でしかないわけで、ちょっとでも複雑だとすぐに興味がなくなる。実際俺はいまだにモリカケがなんなのかわからないわけだし。世界なんて個人が把握するにはあまりにも複雑で面倒なんだと思う。

 本書によると「民族浄化」というキーワードはボスニア紛争時に「バズワード」となったらしい。殺戮も虐殺も大体同じことを指しているのに聞き手の印象ががらっと変わって、思考が特定方向に誘導されるのはとても面白い。このブログではしつこいぐらい言及している「虐殺器官」の世界は全然フィクションではなくて、現実の延長にあるんだということを実感した。

 この本を読んで、心底政治の世界は面倒だと思った。こういう裏側まで知って、正しく物事を判断しようとすると限りなく面倒なので、どうせゆがんだ事実しか知れないならいっそ政治を追うのはやめようかなとも思う。

鴨川ホルモー の感想

 感想を一言でいうと「なんだこれ」。

 内容としては真面目に不真面目をやってる大学青春エンタメ小説で、京都が舞台。俺にとっては真面目に不真面目で京都といえば森見登美彦が真っ先に思い浮かぶ。パクリだとかいうつまらない意見を言うつもりはないけど、やっぱりどうしても比べてしまうのは許してほしい。個人的には森見のほうが好きかなぁ(まだ万城目学は一冊しか読んでないけど)。森見作品のほうが、笑えるところが多かった気がする。

 あと俺はどうしてもファンタジーにいちゃもんをつけたくなる癖があるようで、鴨川ホルモーみたいな設定を出されると、少し白けてしまうのが今回確信できた。そういうわけで「夜は短し歩けよ乙女」より「四畳半神話体系」が好きだし、「聖なる怠け者の冒険」より「恋文の技術」のほうが好きである(鴨川ホルモーの感想なのに森見作品で申し訳ない)。

 肝心の鴨川ホルモーに戻ると、真面目に不真面目やっててとても好き。吉田代替わりの儀とか高村の髪型とか主人公の性癖(?)とか、斜め上の発想なのがいい。前述したとおり、少しファンタジックな設定が俺と合わなかったけれど、大方は楽しめた。個人的に気に入ってるのが早良さんとの顛末で、考えすぎて動けなくなる頭でっかちの大学生が面白かった。こういうぼんくら大学生は森見作品にもよく出てくるのでどうも惹かれるものがあるみたいである。

 深く考えずに頭空っぽにして笑える小説だと思う。

 

 

誰にも書けなかった戦争の現実 の感想

 本書はWWⅡについてのノンフィクション。ブックオフで200円で売ってたので読んでみたけど値段以上の価値があった。

 WWⅡに関するドキュメントは全く読んだことがなくて、これが初めてだけど、非常に詳細かつ広範に調べられていると思う。まず本がとても分厚い。ハードカバーで500ページある。また、著者はWWⅡ従軍者で、内容にも信頼が持てるんじゃないかと思う。

  これを読んでわかったのが、戦争と一言でいうけど、その全体像をとらえるのは全く簡単じゃないこと。最近北朝鮮がどうとかアメリカがどうとかできな臭いけど、北朝鮮なんて戦争してつぶしてしまえじゃなくて、戦争は想像の埒外にあると自覚するのは70年戦争してない国の国民として大事なんじゃないかなと思う。

 歴史の教科書と本書が決定的に袂を分かっているのは、本書がもっと戦争にかかわった個人に接近して考察していること。例えば頻発した新兵の誤射とか、とどまるところを知らなかった噂、戦争に直接参加していなかった市民たちの心理などなどについて証拠と理由、実際にあった出来事を明示して考察していること。ただ後半のほうになると当時のラジオや本など、文化的な面を取り上げているが、これはむしろ詳しすぎて前提知識ないとよくわからないと思ったので2章分(50ページくらい?)くらいは飛ばした。

 全く戦争になじみのない平成生まれとしてはどの章も驚くことばかりでそのいちいちを上げていくと本書がもう一冊出来上がってしまうぐらいだけど、一番衝撃的だったのは最後の章「睾丸にも弾はあたる」。大砲の破片ではなく、大砲で吹き飛ばされた仲間にあたって怪我をした兵のエピソードとかとか。かなり心にくる。

 ただ唯一の欠点が、「写真や図が全くない」こと。ポスターや写真が本文で紹介されてるけど実物がないとイメージがわきにくい。まぁポスターに使われている広告的技法じゃなくて、それがもたらしたor表した影響について述べているのでなくても構わないものではあるかもしれない。

 戦争は一括りにかくかくしかじかと型にはめることができないということに気づかせてくれたという点で貴重な読書体験だったと思う。

 

 

boy's surface の感想

 self reference engin(SRE)から円城塔に入ったので、どうしても比較してしまうのですが、俺個人の好みとしてはSREのほうが好きです。

 本作も円城塔の例にもれず、やたらと迂遠で遠回りな文体が採用されているわけですが、これが今回の作風とあってないなぁと感じました。SREでも同じ方針がとられていますが、これはイベント後の何でも起こりうる世界だったり、世界に翻弄される語り手の饒舌な独り言、みたいな作品全体の雰囲気を作るうえで効果的でしたが、今回はただひたすら長いだけのように思います。SREにあったユーモアも少なくなってるし。語り手が何なのかひたすら引き延ばして、とっかえひっかえしてやっと種明かしをするも、開陳された当の俺は全然ピンと来てないという。

 まぁこんなお粗末な感想がでてきたのは、単純に俺の記憶力、読解力不足に由るところが大きいです。boy~をSREより面白いと評価する人もいるわけですから。多分円城塔はSREで思いっきり(抽象度とか難解度とかの)レベルを下げて肩慣らしをして、ちょっと本気を出し始めたのが今作、ということなのかな~と思ってみたり。私の読書力はSREにかろうじて手がかかる程度だったというのが実際のところでしょう。ただ円城作品は二読目、三読目からが本番だと思っているので、少なくとももう一回読んでみたいと思います。いつになるかわからないけど。

SSH(スーパーサイエンスハイスクール)についての愚痴

 ※注意※ただの愚痴でなんらの客観的事実にも基づいていません。

 SSHっていう制度があるんですよ。通信プロトコルじゃなくて、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)とかいう噴飯もののネーミングの教育制度が。
 ざっくりいうと、SSHとは、高校で、理系が好きな人を金と教員と一緒に釜に放り込んで化学反応を期待しよう。って試みです。うろ覚えですけど俺の高校では、高校生だけど大学と協力して、自分の研究をしてみよう!って触れ込みだった気がします。
 SSHへの取り組みかたは学校次第なんですよ。生徒全員強制加入とか、選択制とか。俺の高校は選択制でした。選択すると情報の授業がSSHに変わります。
 SSHを選択するに当たって事前に説明会があるわけですが、これがとても巧妙で。
曰く、
高校だけど大学と協力している。
沢山発表の機会を用意している。
海外研修もある。
様々なイベントで表彰者多数。

とかなんとか色々説明を受けるわけです。高校生なのに大学レベルの研究が出来るなんてすごいですねぇ。受験が終わって高校に向けてやる気を日々高めている新入生にはとても魅力的です。特にSSH進学校に多いので興味を持つ人も多いのです。
 ただここで1つ気付いて欲しいんですが、「SSHとして特別に進んだ勉強を教えてくれる」とはいってないんですよね。みなさんはこれを意外だと思うでしょうか。俺はてっきりSSHに入ったら特別にカリキュラムが組んであって、理数系の授業をいち早く終わらせて、自分の好きな分野に進んで行くもんだと思ってたんですよ。普通はこんな思い込みはしないのかなぁ。
 実際入ってみると、週に2コマあるSSHの授業は毎回自習状態。テストもありませんから当然自習なんてしませんね。大体スマホか駄弁ってます。もしくはお茶を濁すような程度の授業をやっておしまい。生徒の自主性にまかせるといえば聞こえはいいですが(前述した通り進学校が多いので余計に)実態はただの放置。
 でも勉強しないのはお前のやる気がないからじゃん?とか、やる気ないだけなのにそれを学校のせいにして何こんなにぐだぐだと文句言ってんの?とか言う人もいるかもしれません。これに関してはもう反論のしようもありません。論駁する余地もない正論です。ただ俺の言い分としてはせめて先に言っておいてほしかった、ということ。
 当然勉強もしませんから研究(笑)なんてなおさら出来ません。しかし説明にあった通り発表する機会だけはやたらめったらあります。そこで知識もやる気もない一般SSH諸君はどうするかというと、教科書の実験パクってきたり、ネットにある解説コピペしたり、ちょっと程度の上がった夏休みの自由研究で乗り越えます。
 こんな状態なので、海外研修はただの観光と化します。海外の最高学府を見学して帰ってきます。
 もちろんやる気もあってちゃんと成果を出してる人もいますよ?しかしそれは極僅かで、俺を含めた大半はただ所属してるだけ。ただのお荷物です。
 ちなみにSSHに指定されると年間一千万くらい国から貰えるそうです。どこに消えるのかは知りません。
 まぁぐだぐたと悪口書いてきましたが、やる気あって、スキルもあって、やりたいことが決まってる人にとってはとてもいい環境だとおもいますよ。発表会には偉い人も招かれてるので、そういう人からアドバイスもらえますし。前述したとおり、学校によってSSHの取り組みかたは違うので、俺の高校だけがこんな感じだったのかも知れません。ただ俺みたいな受け身で、入ったらなんとかなるとか思ってるようなくるくるぱーが釣られると後で痛い目みる可能性もあるよってことです。こういう(偏見こみこみの)一面もあるよっていう参考ぐらいに思ってください。

ブックオフがSFに厳しい

 正月にブックオフで本全部20%offという弩級のセールやってたのでディレッタントな俺はどうせ読まないのに、沢山仕入れようと思って意気込んで行ってきたわけです。
 しかし血眼になっていくら探してもSFコーナーは本棚の一列の半分だけ。ブックオフは違う棚にバラけてるということもままあるので諦めずに他の棚を探してもやっぱりない。しかたないので違う店舗に行くと、今度はありました。一列分だけ。前の店舗の2倍ですね。 
 あれか?SFは名作が多すぎて誰も売らないのか?なんでミステリーと時代小説は堂々とした売り場もらえてんのにSFだけないんだよ。SFってわりとメジャーなジャンルだと思ってたけど実は全然そんなことはなかったのか?......
 結局鴨川ホルモーかってきました

無敵の作家

 思うに、円城塔って文学的評価という点において無敵なんじゃないだろうか。
 無敵というのは、読んだ全員が楽しめるということじゃない。amazon のレビュー欄では実際つまらなかったっていう人がいるわけだし。今言ってるのは「自分に合わない」と感想を述べることはできても「ストーリーがつまらない」と批判することはできないということ。
 読んだことのある人ならわかるだろうが、円城作品はとにかく読みづらい。自分はもはや初見で理解するのはあきらめて、三周することを前提に読んでいる。しかし回を重ねると、見過ごしていた会話に隠された新たな意味や、結論を踏まえることで違って見える描写などが発見できて、段々面白くなってくる。これはそもそも文学だなんだという前に数学を下敷きにして書かれているからで、数学的な思考の帰結と経過を、修辞と比喩、婉曲表現をパラメータにして円城塔李久さんに文字起こしを頼むと、あの長ったらしいけどどこかノスタルジーと含蓄に富んだ小説が出力される。で、含蓄に富んだってのが厄介な部分で円城塔李久さんは含蓄に富みすぎて一般人では簡単に取捨選択できない次元になってくる。ただしこれは全然小説の価値を損なうものじゃなくて、むしろ言葉遊びのように色々な意味が取れること自体に面白さを見出すことができる。こんなにわざわざ婉曲にわかりにくく書かずにもっと普通に、一般的とされる書き方をするべきだ、という意見が的外れになるのはここに原因があって、この発言をした人はストーリーとか、びっくりする仕掛けとか、いわゆる「物語」を読みに来たのだろうが、そもそも円城作品は「物語」じゃなくて言葉遊び(どこかで日本語の揚げ足をとる作家、とか評されていた)を楽しむことが前提になかったのだと思う。いつか、贅沢というのは時間を浪費するから贅沢なのだ、という論評をみたけど、そういう意味で言えば円城作品はかなりの贅沢だと思う。わざわざ遠回りした表現を使うことで、何重にも意味がとれて、何回でも読みなおせるから。
 ちょっと話がずれたが、結局円城塔が文学的に無敵だと思うのは、大事なことは隠しておくのがデフォルトだから全然面白くなくても、必ずどこかに「自分が読み取れていないだけなんじゃないか」という不安が付きまとうからである。これが例えば伊坂幸太郎とかなら「ストーリーの立て方が悪い」とか「オチがつまらない」とか批判することはできる。しかしもう何回も繰り返してきたようにあの円城塔である。もし円城塔の作品を一覧にして書評するサイトがあったら、つまらないと思った作品でも「これはちょっとわからなかったですねー(笑)」とかいう感想でさらっと流して終わるんじゃないかと思う。実際このブログにもある。多分「これはつまらないですね。駄作」と一刀両断する感想は出てこないと思う。
 ただし批判されないのと評価されるのは違うことであって、小説界(SF界ではなく)から一定の支持を得ているのは純粋に小説が面白いからで、ただよくわかんない小説であるだけなら無視されて終わるだけである。つまり円城塔は批判されないしその上面白いというもうATフィールド全開!なエヴァ初号機がさらにロンギヌスだかカシウスだかの槍を持っているのに等しいわけである。
 ながながと書いてきたがこの記事の結論は一つ。  self reference engine を読もう。

横浜駅は増殖する

 ふと思い立って「小説サイト」でggってみたところかなり面白い小説を発掘してしまった(俺が知らなかっただけ)ので紹介と感想。
https://kakuyomu.jp/works/4852201425154905871
正直こんな駄文読んでるよりとりあえず読んでみた方がいいです。全然長くないので。
 舞台は今から数世紀の後、増改築を繰り返した横浜駅が自己増殖の果てに本州の99%を覆った未来。もうこのあらすじを読んだだけで面白いですね。俺は横浜駅行ったことないですが、多分ずっと工事やってて、筆者がもやもやしてるんだろうなってことは充分過ぎるほど(勝手に)感じ取れます。
 舞台設定がぶっ飛んでるので台詞もぶっ飛んでます。対岸から横浜駅が射出される。九州を横浜駅から防衛する。などなど、痺れる台詞を真顔で言ってるのがかなり得点高いです。冒頭で富士山の上にエスカレーターが出現したので夏だとか言っててもう衝撃受けました。
 そしてSFガジェットが凝ってるのもとても嬉しい。並べてくとネタバレになるので書きませんが、たまたま俺が浅く狭く持ってる知識と丸かぶりしてるのでとても楽しかった。作者のページを見ると研究職だそうで、どうりでちゃんとしてるわけだと納得しました。
 短いのにちゃんと小説一本読んだ達成感がありました。ちなみに同じ作者の作品で「HALとSHURA」もあるのですがこれもかなり面白いです。